畑恵のブログです
(前略)
疑義を持たれているような政策決定の結果、税金の無駄遣いがあったのかなかったのか、税金を支払っている国民に対し損害が与えられたのか否かの、その一点であると私は思います。
たとえ超右翼教育を施す小学校に、積算根拠を示す公的データも保存しないまま8億円値引きして土地が払い下げられ、異例の超特急で認可が与えられたとしても、たとえ長年新設が見送られていた獣医学部が、たった2ヶ月の急展開で突如設置が認められ、そこに36億円もの土地が市から無償譲渡されたとしても、たとえその主たる受益者が総理やその夫人に近しい人物だとしても、その結果が税金の負担者である国民の利益になるのであれば、それはそれで良い政策決定であったと思います。
しかし、沢山の税金を投入してやってみたらダメでした…では困るので、民主主義の世の中では、政策決定に至るプロセスで様々な審査や手続きを経て、数多くの人々から客観的な評価を受け、公明正大に物事を決めるのが良しとされている訳です。
そうした手続きやプロセスを、今回のモリ・カケ問題のように吹っ飛ばすと、なぜ私たちの支払った巨額の税金が使われるというのに、通常の手続きが何段階も割愛されたのか?とか、なぜ政策決定の根拠となったデータなどの情報を政府は示せないのか?などと、一般国民はとても不思議に思います。
そこにもって、「事務次官」という社会的信頼性が高いとされる役職についこの間まで就いていた人物までもが、政策決定に対し官邸からの圧力があったと公言してしまったら、なけなしの給与から血税を国や地方自治体に託している一般市民としては、とても不安になってきます。
私はかつて国会議員として6年間、永田町で仕事をしました。
(後略)
http://ameblo.jp/japanvisionforum/entry-12280774434.html
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4月20日、天皇・皇后両陛下主催の春の園遊会が、麗らかな陽光が降りそそぎ、そよ風吹きわたる中、開催されました。
もう20年近く、ほぼ毎年伺わせて頂いている園遊会ですが、今春は公私ともに忘れがたい宴の時となりました。
と言いますのも、作新学院の卒業生である萩野公介選手が、昨年のリオ五輪メダリストの一人としてご招待をいただいたのです。
本学の中等部と高等学校の6年間、子どもから大人に変わる一番の成長期を、間近に見続けてきた萩野選手。
高校3年生で迎えたロンドン五輪では、現地までご両親とともに応援に行き、卒業後も大きな試合の度に連絡を取り合って来ました。
一昨年の右肘骨折という大怪我の際も、そこから始まったリオ五輪への復活の日々も、変わることなく折々に連絡を取り合い、子どものいない自分にとっては我が子にも等しい存在でした。
(後略)
全文はこちらをご覧下さい。
http://ameblo.jp/japanvisionforum/entry-12267965683.html
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新年度とともに、近未来対応型の新たな教育を実践する「作新アカデミア・ラボ」が始動しました。 一学期中は試行期間ということで、日々トライ&エラーを繰り返しては、モデルケースとなる授業のあり方を模索する毎日ですが、流線型のアカデミア・ラボの建物に、生徒たちの笑顔とさんざめきが溢れると、仏に魂が入ったような、無機質な建造物に生命(いのち)の灯火がともったような感覚がして、胸が熱くなります。
アカデミア・ラボでの教育の核を為すのが、「クエスト・ラボ」です。
これまでスタディー ラボと呼んできたスペースですが、ここで実施される教育内容と名称が合致していないため、「クエスト ラボ」と改めました。
(後略)
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http://ameblo.jp/japanvisionforum/entry-12267085652.html
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(前略)
自主自律の精神、寛容さや多様性を尊重する価値観に立脚した日本教育の座標軸は大きく揺らぎ、ともすると坂を転げ落ちるかのように右傾化して行ってしまうのではないか。
むしろ、政権の中枢に近い右翼的な議員たちが提唱しているような価値観、つまり国家に対し批判的・懐疑的な精神や思考を持つことなく、お上の命令や指示に盲目的に従い、隣国やその民族に対し差別的な言動をとることも厭わない。そんな価値観や考え方が、これからの教育の主流になっていくのではないかと、教育現場にある者の多くが危惧しています。
そうした時代背景の下、道徳の教科化が小学校は2018年度、中学校は2019年度から始まり、先月末、政府は「『教育勅語』を教材として使用することを否定しない」と閣議決定しました。「憲法に違反しない形で」という但し書きがつけられていますが、戦後、教育勅語は違憲とみなされたからこそ、衆参両院で排除・失効とされました。違憲として国会で排除・失効したものを、なぜ再び子どもたちの教材として使用できるのか、どう考えても論理矛盾を起こしています。
「臣民父母ニ孝ニ、兄弟ニ友ニ、夫婦相和シ、朋友相信ジ…」という「教育勅語」の一節。
親に孝行し兄弟仲良く、夫婦は互いに支え合い友達とは信じ合いというその内容、私自身も誠にその通りと思います。では、なぜ「教育勅語」はその効力を喪失したのでしょうか。
その理由は教育勅語が、天皇を神の末裔である絶対的な存在として位置づける一方で、国民は「臣民」、つまり天皇に支配される民として位置づけていることにあります。
こうした絶対的な主従関係の下に天皇から発せられた「一旦緩急アレバ義勇公ニ奉ジ、以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スベシ」という一文を、軍部は自分たちの都合の良いように拡大解釈し、戦意高揚に利用しました。
この一文によって日本国民は、戦況について正確で客観的な情報を伝達することも取得することも禁じられ、主体的・自律的に思考することも許されぬまま、天皇を神と仰ぐ国家のために自らの命を捧げることこそが正義であり最善であると信じ、勇んで戦争に参画し、国内外に多くの犠牲を出す結果となりました。
(後略)
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http://ameblo.jp/japanvisionforum/entry-12262281761.html
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