畑恵のブログです
(前略)
自主自律の精神、寛容さや多様性を尊重する価値観に立脚した日本教育の座標軸は大きく揺らぎ、ともすると坂を転げ落ちるかのように右傾化して行ってしまうのではないか。
むしろ、政権の中枢に近い右翼的な議員たちが提唱しているような価値観、つまり国家に対し批判的・懐疑的な精神や思考を持つことなく、お上の命令や指示に盲目的に従い、隣国やその民族に対し差別的な言動をとることも厭わない。そんな価値観や考え方が、これからの教育の主流になっていくのではないかと、教育現場にある者の多くが危惧しています。
そうした時代背景の下、道徳の教科化が小学校は2018年度、中学校は2019年度から始まり、先月末、政府は「『教育勅語』を教材として使用することを否定しない」と閣議決定しました。「憲法に違反しない形で」という但し書きがつけられていますが、戦後、教育勅語は違憲とみなされたからこそ、衆参両院で排除・失効とされました。違憲として国会で排除・失効したものを、なぜ再び子どもたちの教材として使用できるのか、どう考えても論理矛盾を起こしています。
「臣民父母ニ孝ニ、兄弟ニ友ニ、夫婦相和シ、朋友相信ジ…」という「教育勅語」の一節。
親に孝行し兄弟仲良く、夫婦は互いに支え合い友達とは信じ合いというその内容、私自身も誠にその通りと思います。では、なぜ「教育勅語」はその効力を喪失したのでしょうか。
その理由は教育勅語が、天皇を神の末裔である絶対的な存在として位置づける一方で、国民は「臣民」、つまり天皇に支配される民として位置づけていることにあります。
こうした絶対的な主従関係の下に天皇から発せられた「一旦緩急アレバ義勇公ニ奉ジ、以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スベシ」という一文を、軍部は自分たちの都合の良いように拡大解釈し、戦意高揚に利用しました。
この一文によって日本国民は、戦況について正確で客観的な情報を伝達することも取得することも禁じられ、主体的・自律的に思考することも許されぬまま、天皇を神と仰ぐ国家のために自らの命を捧げることこそが正義であり最善であると信じ、勇んで戦争に参画し、国内外に多くの犠牲を出す結果となりました。
(後略)
全文はこちらをご覧下さい。
http://ameblo.jp/japanvisionforum/entry-12262281761.html
ブログランキングに参加しています。良かったら応援して下さい…
ただいまコメントを受けつけておりません。