畑恵のブログです
(前略)
聖徳太子は、私にとって永遠のスーパーヒーローであり、歴史上最も敬愛する憧れの人物であります。半島や大陸などとの国際緊張が高まる中、遣隋使を派遣し渡来系氏族を重用するなどして大陸の進んだ文化や制度をとり入れ、「十七条の憲法」の制定により文明国家としてのガバナンスやモラルを確立し、「冠位十二階」の制定により世襲や出自ではなく人物本位・実力主義による登用や出世を可能にし、仏教をとり入れ神道とともに厚く信仰し興隆につとめた聖徳太子。
最近は「聖徳太子」という呼称が教科書から消え厩戸王と表記され、「十七条の憲法」や「冠位十二階」の制定、遣隋使の派遣などといった実績をすべて聖徳太子という一人の人物が実行したことを疑問視する学説が主流ですが、私自身は“聖徳太子は不滅”だと今も変わらず信じています。
たとえば「十七条の憲法」に記されている、ある意味とても人間臭く血の通った人間観や組織論、あるいは広く開かれた視野に基づいた俯瞰的な世界戦略や国家ビジョンなどは、やはり誰か特定の人物が発想・構想し指揮をとって進めない限り、それぞれの知恵の寄せ集めで構築・展開できるものではないと思うのです。
用明天皇の皇子であり、母は欽明天皇の皇女でありながら、天皇になることなく命を絶たれた聖徳太子。その死因は今も諸説ありますが、時代や洋の東西を問わず、理を尊び慈悲に厚く高潔で開明的な改革者の末路は悲劇的なものと決まっています。ただそれでもなお、聖徳太子は時空を超越して生き続ける、日本の歴史上最も重要であり確かな存在であったことを証明するのが、後奈良天皇以来、歴代天皇が即位式で着用された上で広隆寺に営々と贈り続けられているその御束帯ではないでしょうか。
聖徳太子に腹心として仕えた秦氏は、中国から朝鮮半島を経由して渡来した帰化人で、大勢で日本に渡って来たのは応神天皇16年と日本書紀に記されています。主に養蚕・機織を業としながら大陸や半島の先進文化を我が国に輸入することに努め、農耕や醸造、治水など、当時の地方産業発展や国土開発に貢献しました。
(後略)
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http://ameblo.jp/japanvisionforum/entry-12227979404.html
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