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コロナ対策の第一人者と世間で認知されている尾身会長に、大人数で大声を出さなければ大人は飲食も会合も外出も構わないと言われたら、この2年間ずっと給食で黙食を続け、高齢者や受験生に配慮して毎日毎日息を潜め我慢に次ぐ我慢を余儀なくされている子どもたちに、私たちは一体どのように説明したら良いのか。
そうした一方で、厚生労働省に新型コロナウイルス対策を助言する専門家組織の脇田隆字座長からは、「今後基礎疾患のない若年層は、高齢者など重症化の危険性がある人たちを優先するため、受診も検査も控えるように」と受け取れる指摘が公式になされた。
作新学院では、自前のPCR検査機をフル稼働させできる限り対応に当たっているが、一日に検査できる件数はごく限られており、今後抗原検査すら満足に受けられなくなるとすれば、学院としての自衛手段はもはや万策尽き、闇に突き落とされるような無力感に襲われる。
こうした混乱と不条理に、大きな拍車をかけているのが保健所の目詰まりだ。
人員の補給もままならぬまま、またもや過重な業務を負わされた全国の保健所はどこも既に飽和状態で、迅速な経口薬の処方が阻害され、濃厚接触者の特定も感染者自身に任されるような非常事態に陥っている。
激烈な過重労働で疲労困憊する保健師たちが、電話口で罵詈雑言を浴びせられるという異常事態を生み出している元凶が、保健所を介さないと動くことができない感染症「2類」という桎梏だ。
2類か5類かという二者択一で立ちすくんだまま誰もが不幸になっていく現状を看過することなく、国は一刻も早く2類の“何を残し、何を変えるべきか”を議論し、部分的な変更を含め運用を柔軟にすべきだ。
作新学院では、「何があっても“教育”は止めない」を合言葉に、今後予想される感染者および濃厚接触者の発生・拡大を各段階ごとにシミュレーションし、幼稚園から高校まで各設置校ごとに「事業継続計画」を策定している。
最悪の事態も想定し、たとえ殆どの教員が登校できなくなったとしても、自宅のパソコンから生徒たちへライブ授業配信を行える準備を整え、既に小・中・高校の一部では1月26日現在、対面とオンラインを併用してのハイブリッド授業ないしは完全オンライン授業を実施している。
ただ小・中等部の場合、保護者の付き添いなしに児童・生徒だけでネットへアクセスすることは難しく、また小さな子どもを自宅に置いて保護者が仕事に出ることも困難なため対面授業を基本としているが、登校が難しい児童・生徒についてはオンラインで学べる環境を整えている。
ICTの活用により教育の継続性は担保されているが、はたして教育の質がどこまで担保できるかと問われれば、特に年齢が下がるほど難しいと言わざるを得ない。
幼稚園でもネット活用は行ってはいるが、もし園児の登園が制限されれば、それだけ社会を支える人たちの動きも制限されてしまう。
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