畑恵のブログです
新年度とともに、近未来対応型の新たな教育を実践する「作新アカデミア・ラボ」が始動しました。 一学期中は試行期間ということで、日々トライ&エラーを繰り返しては、モデルケースとなる授業のあり方を模索する毎日ですが、流線型のアカデミア・ラボの建物に、生徒たちの笑顔とさんざめきが溢れると、仏に魂が入ったような、無機質な建造物に生命(いのち)の灯火がともったような感覚がして、胸が熱くなります。
アカデミア・ラボでの教育の核を為すのが、「クエスト・ラボ」です。
これまでスタディー ラボと呼んできたスペースですが、ここで実施される教育内容と名称が合致していないため、「クエスト ラボ」と改めました。
(後略)
全文はこちらをご覧下さい。
http://ameblo.jp/japanvisionforum/entry-12267085652.html
ブログランキングに参加しています。良かったら応援して下さい…
(前略)
自主自律の精神、寛容さや多様性を尊重する価値観に立脚した日本教育の座標軸は大きく揺らぎ、ともすると坂を転げ落ちるかのように右傾化して行ってしまうのではないか。
むしろ、政権の中枢に近い右翼的な議員たちが提唱しているような価値観、つまり国家に対し批判的・懐疑的な精神や思考を持つことなく、お上の命令や指示に盲目的に従い、隣国やその民族に対し差別的な言動をとることも厭わない。そんな価値観や考え方が、これからの教育の主流になっていくのではないかと、教育現場にある者の多くが危惧しています。
そうした時代背景の下、道徳の教科化が小学校は2018年度、中学校は2019年度から始まり、先月末、政府は「『教育勅語』を教材として使用することを否定しない」と閣議決定しました。「憲法に違反しない形で」という但し書きがつけられていますが、戦後、教育勅語は違憲とみなされたからこそ、衆参両院で排除・失効とされました。違憲として国会で排除・失効したものを、なぜ再び子どもたちの教材として使用できるのか、どう考えても論理矛盾を起こしています。
「臣民父母ニ孝ニ、兄弟ニ友ニ、夫婦相和シ、朋友相信ジ…」という「教育勅語」の一節。
親に孝行し兄弟仲良く、夫婦は互いに支え合い友達とは信じ合いというその内容、私自身も誠にその通りと思います。では、なぜ「教育勅語」はその効力を喪失したのでしょうか。
その理由は教育勅語が、天皇を神の末裔である絶対的な存在として位置づける一方で、国民は「臣民」、つまり天皇に支配される民として位置づけていることにあります。
こうした絶対的な主従関係の下に天皇から発せられた「一旦緩急アレバ義勇公ニ奉ジ、以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スベシ」という一文を、軍部は自分たちの都合の良いように拡大解釈し、戦意高揚に利用しました。
この一文によって日本国民は、戦況について正確で客観的な情報を伝達することも取得することも禁じられ、主体的・自律的に思考することも許されぬまま、天皇を神と仰ぐ国家のために自らの命を捧げることこそが正義であり最善であると信じ、勇んで戦争に参画し、国内外に多くの犠牲を出す結果となりました。
(後略)
全文はこちらをご覧下さい。
http://ameblo.jp/japanvisionforum/entry-12262281761.html
ブログランキングに参加しています。良かったら応援して下さい…
(前略)
≪「森友学園」 3つの疑惑≫
この問題には、大きく3つの疑惑が存在します。
1. 国有地の格安払い下げ問題
2. 小学校の設置基準緩和
3. 総理夫人と大物政治家の関与
<1.国有地の格安払い下げ問題>
国から森友学園に払い下げられた大阪府豊中市にある土地8770㎡の不動産鑑定評価額は9億5600万円。ちなみに隣接する国有地9492㎡は、国から豊中市に14億2300万円で売却されています。
しかも、森友学園に払い下げられた国有地にはゴミが埋められているということで、その撤去費用として8億1974万円が控除され、結局この土地は1億3400万円で同学園に払い下げられました。
ここで最大の問題となるのが、ゴミの撤去費用として8億2000万円という膨大な費用を計上した政府の算定根拠です。政府にはこの撤去費用を算定する上で根拠とした調査結果資料と、その資料の数値に基づいて撤去費用を算定したデータが必ず存在するはずです。
国会は国政調査権を行使し、政府に対し8億2000万円の算定根拠となった全資料の公開を求めるべきです。
また同時に、同額を投じて森友学園側がゴミ撤去を本当に行ったのかどうかを籠池理事長を参考人招致し確認すべきです。
<2.小学校の設置基準緩和>
小学校の設置基準が森友学園の要望で大きく緩和されたと聞いても、一般の方々はあまり関心を持たれないかもしれません。
しかし私学関係者からすれば、この基準緩和は天地をひっくり返すくらいの大事です。
大阪府はもともと、幼稚園しか設置していない学校法人が小学校の開設に借入金を充てることを認めていませんでしたが、森友学園から要望をうけるとこれを容認しました。
府の私立学校審議会の議事録によると、委員から「借り入れが今もっているものよりオーバーしている」と疑問が呈され、また入学希望者も定員の半数程度にとどまっていることが報告され、学園の財務状況を懸念する声も出ていたそうです。
それでも大阪府は森友学園の小学校設置を妥当と判断し、設置を認可しました。
許認可や補助金などの申請の際は、当たり前のことですが一点の瑕疵もないように書類を整えるため、学校法人の担当者は細心の注意を払います。膨大な資料を用意し長時間をかけて用意し、何度もチェックを重ね提出しますが、それでもお役所からは繰り返し不備を指摘され、そのたびにまた多くの労力を投じて修正を行い、高い山の頂きに一歩一歩登り詰めて行くように慎重に粘り強く申請手続きを行っていきます。
ましてや学校の新設などと言ったら、その天文学的な労苦とエネルギーはダムを作ることにたとえられる程で、歴代の責任担当者で最後まで体を壊さずに新設を迎えられた者は滅多にいないというのが私学の常識です。
私学経営に携わる者たちが皆、自らの命を削るようにして実現してきた学校新設といった事業が、今回のようにあまりにも杜撰な体制のもとで認められ一気呵成に進行して行ったことには呆然唖然の一言です。
(後略)
全文はこちらをご覧下さい。
http://ameblo.jp/japanvisionforum/entry-12255454438.html
(前略)
老いさらばえて行くばかりの我が身に、かこち顔になりがちな55歳節目の誕生日でしたが、女性として、人として、生きて行く限りはこう生きねばならないという指針を、先生の花々は見事に示して下さっているようでした。
愛犬タンタンが昨年亡くなった際にも、溢れかえらんばかりの花々で天国への門出を祝福して下さいましたが、人が最も傷つき悩み打ちひしがれ、絶望の淵を彷徨っているその時、先生が花々と紡ぎだす作品はどんな言葉やどんな音楽よりも、優しく力強く人の心を癒し励まし、生きる力を与えて下さいました。
実は、岩井先生とは時空を超えてのご縁があります。
(後略)
全文はこちらをご覧下さい。
http://ameblo.jp/japanvisionforum/entry-12249928064.html
ブログランキングに参加しています。良かったら応援して下さい…