畑恵のブログです
(前略)
トランプ氏が遊説中に述べていた通り、中国に45%の報復関税を課した場合、中国のGDPは年率3%弱下振れし、一方米国も輸入物価高騰によるインフレのため3年で景気後退に転落すると予測されています。米中という世界経済の二大エンジンが機能不全に陥る危険があるのです。
このように正確なデータに基づいて分析・判断を行えば、トランプ政権の未来が暗澹たるものであることは自明のことであるわけですが、威勢と景気の良い甘言に惑わされ踊らされてしまうほど、今、大衆の心は不満と怒りに席巻されてしまっているということでしょう、
グローバル化による経済格差や移民流入によって日々の生活が危機に瀕している一般庶民の立場や気持ちに立って、各国の政権がもっと現実的で具体的な解決策を迅速に打ち出していかない限り、偏狭なナショナリズムやポピュリズムの進行はもう食い止められないところまで来ています。
一方、日本としてはトランプ政権誕生によるパラダイムシフトを機に、米国追随という外交・安全保障政策を見直す時に来ているとも言えます。
ビジネスマンであるトランプ氏は、高い支出を伴ってまで世界のリーダーという地位に米国があり続けることを望んでいません。
品格や尊敬よりも金銭の多寡に価値を置く人物が米国のトップに就こうとする今は、日米同盟をはじめ安全保障のあり方全般について日本人が主体的に考える良い機会と言えます。
自主防衛や核保有といった好戦派か、あるいは植民地政策の延長の如き米国追随派かという両極端な政策対立には終止符を打ち、今後展開されるであろう世界全体のパラダイムシフトを客観的に俯瞰した上での、現実的な日本の外交・安全保障政策について、国を挙げて議論を深めていくことが急務だと思います。
(後略)
全文はこちらをご覧ください。
http://ameblo.jp/japanvisionforum/entry-12220349148.html
(前略)
五輪史上最も重いと言われる今回のメダル。一個が500グラムで一つかけるだけでもかなりずっしりした重量感があるのですが、それを3つかけるとなると結構アスリートでも首や肩にくるそうです。
手に取らせてもらうと、確かに4年前、萩野選手が高校3年生のロンドン五輪で獲得したメダルを学院で見せてもらった時より、一回り大きく厚く何より重く感じました。
表面には、勝利を告げる女神ニケのデザイン。これは毎年変わりませんが、
裏面のデザインは、大会毎に変わります。今回のリオ五輪はシンプルで伸びやかな感じですね。
どのオリンピックメダルもそうですが、競技種目はメダルの縁に刻印されています。
(前略)
起き抜けスッピンで飛び出してきた甲斐がありました!
続いて、湯川参道にある湯滝へ。竜頭の滝や華厳の滝ほど知られてはいませんが奥日光名瀑の一つで、眼前に広がる豪快な滝の流れを間近に感じられる迫力の景勝地です。
その湯滝の水が流れ落ちる湯ノ湖です。中禅寺湖の西端からちょっと北に上がったところにある小さな湖ですが、白根山からの水に加え、その名の通り湖畔にある湯元温泉からのお湯が流れ込んでいます。
(後略)
全文はこちらをご覧下さい。
『錦秋の中禅寺湖畔周遊記 』
http://ameblo.jp/japanvisionforum/entry-12214603323.html
(前略)
記者会見場には33社、110名を超える報道各社の方々が、全国から駆けつけて下さっていました。そうした皆さんから矢継ぎ早に繰り出される質問にも、今井は一度として言いよどむことなく的確に即答し続け、そのクレバーでスマートな受け答えには我が校の生徒ながら舌を巻きました。
甲子園に出発する宇都宮駅のホームでは、修学旅行に出かけるごく普通の高校生のようにいたずらそうな目をクルクルさせていた今井が、甲子園で優勝、台湾で開催されたU-18でも優勝と大舞台を経験するたび、雄々しく逞しく成長して行きました。
特に、国体が終って現役を引退しプロ志望届を出したその頃から、高校生の今井はすっかり姿を消し、代わってプロとして生きることを決意した大人の今井達也が新たに誕生していました。著しい成長ぶりを頼もしく思う一方で、自分たちの元から既に巣立ってしまったような、どこか淋しさを感じる今日この頃でした。
それでも、記者会見が終わり校庭で待ち受けていたチームの仲間に囲まれると、やはりその笑顔は無邪気ないつもの今井に戻ります。祝福と願いを込めて、作新時代の江川投手の写真をチームの仲間が持たせてくれました。
プロとしての道のりには数々の苦難が待ち受けていることと思いますが、良き仲間、良き師、良きファンに支えられて、納得の行く選手生活を一日でも長く送れることを心の底から祈っています。
全文はこちらをご覧ください。
http://ameblo.jp/japanvisionforum/entry-12213150405.html
(前略)
「東洋のシンドラー」と称され、今では偉人として知られる杉浦千畝ですが、ユダヤ人難民の入国拒否を命じた政府の訓令に反してビザを発給した彼は、帰国後に外務省から事実上罷免され不遇な後半生を余儀なくされました。
日本政府による公式の名誉回復が為されたのは2000年10月のこと。1986年に千畝が亡くなってから14年後のことでした。
第二次世界大戦中、杉原千畝がリトアニアのカウナス領事館に赴任した当時、欧州ではユダヤ人に対するナチス・ドイツの迫害が激化。ポーランドを始めドイツ占領下の地域からのユダヤ難民にどのように対処するか、国際問題となっていました。
(後略)
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ユダヤ人を救った杉原千畝物語 ~オペラ「人道の桜」が再演決定 迫害されたユダヤ難民にビザを発給
http://ameblo.jp/japanvisionforum/entry-12210313499.html