畑恵のブログです
(前略)
畑 小針監督は野球を通して、主体性と協調性を備えた選手を育成してくれています。「主体性」と「協調性」、ともすると対立しがちなこの二つを兼ね備えることが「人間力」の基本であり、作新学院の教育の要でもあると思います。
小針 さまざまな分野で活躍されているOBOGの皆さんのように社会に出たとき、「作新学院の卒業生は本気の度合いが違う」と言ってもらえるような生徒を育てていきたいです。
まずは、新チーム全員で大優勝旗を甲子園に帰すことができるよう、さらに精進し、選手とともに成長していきたいと思います。
畑 更なる高みを目指す姿を見守っています。
今回の優勝は「作新学院」の優勝ではなく、地元の方々全員の、それも今ご健在の方ばかりでなく、学院の歴史をつながせて下さったすべての方々の“優勝”だったと実感しています。感謝をカタチにしてまたいつか皆さんにお返しできるよう、学院あげて日々新たに精進して行きたいと思います。
全文はこちらをご覧下さい。
甲子園優勝 小針崇宏監督インタビュー[2]|畑恵オフィシャルブログ
(前略)
―「文武両道」で夢を叶えられた母校―
畑 監督自身がまさに地元っ子であり、作新
の卒業生です。
自分が育った母校で指導したいという気
持ちは、いつ頃から芽生えたのでしょう。
小針 2000年のときに21年ぶりの選抜甲
子園も経験させてもらえましたし、勉強
も野球も文武両道という形でやらせても
らえました。だから、将来は母校で指導
者として恩返しができたらいいなという
気持ちは強かったです。
畑 作新で受けた教育の何が、監督の気持ち
をそこまで動かしたのでしょう。
小針 野球漬けの毎日でしたが、自分の希望す
る(筑波)大学に行かせてもらえ、夢が
目標になり、目標が達成できました。本
当に可能性を叶えられる高校だと思いま
した。
生徒たちにもそういうことを授業中に話
しています。「作新は可能性を叶えられ
る学校だ」と。
畑 文武両道という意味でも、在学中から小
針監督はいつも一番優秀なクラスに在籍
していましたしきわめて優秀だったと思
います。ただ「野球漬けだった」という
高校生活の中、どのように勉強していた
のですか。
小針 勉強は先生方の指導のお蔭で、ほとんど
授業中です。もちろんテスト前はちょっ
と時間を取っていた覚えはあります。
畑 やっぱり授業中に集中していれば、授業
だけで十分成績は伸ばせるということで
すね。
小針 要点というか大事なところだけは聞き逃
さないようにしていたと思います。ノー
トに板書を写すわけですが、書いてある
のをそのまま写すのではなく、自分なり
に付け足したり、逆に書かなかったり。
ある先生から「世界に一つだけのノート
を自分でつくりなさい」と言われたのが
きっかけでした。「後で見直したときに
自分なりのノートがあった方がおもしろ
いでしょ」と言われて、「ああ、そう
か!」と。
畑 「要を得る」ことが肝心なのは学習も野
球も変わりませんね。
小針 ただやっぱり「点数を取りたい」という
欲もあったと思います。負けず嫌いな部
分もありましたから。テスト前はしっか
りやっていた気がします。
畑 当時は全体練習が長かったと思います。
寝る時間を削ったわけですか?
小針 そのときによってです。夜通しやったと
いうわけではありません。時間を決めて
ここまで、終わらなかったら明日の朝に
という感じでした。何でも負けちゃいけ
ないですから。
畑 そうですね。何でも負けちゃいけないで
すね。
でも、休日もなく、テスト前は自主練習
ということもない時代ですよね。
小針 時間の使い方は考えてやっていました。
いかに時間をつくり、どう使うかが大事
でした。
畑 確かに、強い子、伸びる子を見ている
と、弱音を吐きませんし言い訳もしませ
ん。厳しい状況に置かれてもそれを否定
的にとらえるのでなく、どうしたらその
状況を改善できるかという見方をします
し、さらにはピンチすら自分が成長でき
るチャンスだととらえますね。
小針 どう取り組むかという前向きな発想にな
りますね。
(次回、後篇に続く…)
全文はこちらをご覧下さい。
(前略)
第三の理由は、学校という存在ほど、社会をより良い方向に変革し未来を創造する上で大きなポテンシャルを秘めた組織体はないと、私自身が信じているからです。
作新学院のスローガン、「作新民、その“人間力”で世界を変える、未来をつくる」は、単なる掛け声ではありません。
一人ひとりの力はささやかでも、それを根気強く地道に積み重ねて行けば、世の中は必ず変えて行くことができる―それは決して綺麗事でもお題目でもなく“真実”であることを、私は子どもたちと作新学院で過ごした16年間の中、何度も身をもって体験してきました。
東日本大震災をはじめとした災害復興支援や、10年を越える足尾銅山跡地への植林、800万個にせまるペットボトルキャップの回収、約1万5千足の運動靴を回収しアフリカの子どもたちに届けた「アフリカ一万足プロジェクト」
等々、思いをカタチや行動にし、それを重ね繋げていけば、ちょっとずつかもしれませんが世の中は変えられることを実感させてもらいました。
アカデミア・ラボは、地球環境保護や国内外の社会貢献活動に携わる「地球環境クラブ」や生徒会、ボランティア部やJRC部などのミーティングルームとしても使用されます。
将来的には、このラボからNPOやNGOが生まれたり、ベンチャー企業が誕生したりと、社会を変革・刷新する旗手が幾人も生まれることを心から願っています。
そしていつの日か、子どもたちの可能性や潜在能力の揺籃(インキュベーター)であるアカデミア・ラボからノーベル賞受賞者が生まれることを、私たちは秘かに夢見ているのです。
全文はこちらをご覧ください。
「アカデミア・ラボ」の使命とは ~子どもたちの潜在能力のインキュベーター
(前略)
各優勝校の校旗は大会期間中、甲子園球場正面に飾られるのですが、今大会は偶然にも前列に飾られ、しかもなぜか球場を訪れるたび遠くから旗の存在がなぜか目に飛び込んできました。実は5年前、ベスト4になった時にも校旗がよく目に入ったので一緒に撮影したのですが、今夏もそれ以来となる記念写真を、初戦を迎えた8月12日球場入りする前に行いました。
作新の校旗に常に風を吹かせ、優勝まで押し上げて下さったのは、応援して下さった地元や全国の皆様はもとより、131年の学院の歴史を支えて下さった数限りない先輩諸氏に他なりません。
そうした御恩に報い期待に背かぬためにも、作新学院はどの学校よりも積極的に社会貢献する学院であらねばならないと、常々肝に銘じています。
実は、ベスト4に勝ち進ませていただき6夏連続出場が始まった2011年春には東日本大震災が起き、学院も「オール作新」での復興支援体制を震災から数日後には構築、できる限りの支援に取り組みました。
募金活動、被災地訪問、一万枚を超える除染用ぞうきんの作成、避難所へのお見舞いetc.ささやかながらこうした支援の多くがその後も各設置校で毎年継承され続け、今に至っています。
こうした支援活動の国際版として昨年度、学院創立130周年を記念して「アフリカ一万足プロジェクト」を実施し、約1万5000足の使用済み運動靴を回収し、すべてを洗浄・乾燥した上で、アフリカ各国の子どもたちに届けることができました。
今夏、54年ぶりにもたらされた甲子園優勝も、「オール作新」での社会貢献活動という日々の地道な積み重ねに対する天からのご褒美であると、私は理解しています。
今年も9月28日 学院の創立記念日には、毎年恒例となりました街頭募金活動を実施させて頂きます。甲子園で活躍した硬式野球部をはじめ生徒会、JRC部などの生徒たちが街角から、東日本大震災、熊本地震、台風10号などの被災地への支援を呼びかけさせていただきます。
お忙しいこととは存じますが、ご協力のほどどうぞよろしくお願い申し上げます。(詳細は学院HP〈http://www.sakushin.ac.jp/〉をご覧いただければ幸いです。)
全文はこちらをご覧下さい。
甲子園には神が舞い降りる ~校旗が語る勝利の女神の奇跡
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(前略)
信頼の絆の強さは、ベンチ入りした選手たちだけではありません。
甲子園での準々決勝、作新の攻撃が始まったその時、アルプススタンドの応援席からいきなり野太い声での大合唱が聞こえてきました。
「ハッピー・バースデー・トゥーユー、ハッピー・バースデー・トゥーユー、ハッピー・バースデー・ディア・りゅうがさん~♡」
なんとその日誕生日を迎えた山ノ井隆雅選手へ、ベンチ入りしていない選手たちからの応援歌でした。
すると、この歌をBGMにバッターボックスに立った山ノ井が、お返しと言わんばかりにホームランアーチを描いて見せたのです!
神聖な甲子園の試合中にハッピーバースデーとは、正直、前回の優勝年生まれの私としては違和感があったのですが、もはや時代は変わったことを実感しました。
「信念、執念、信頼の絆」―どんなに時代が変わろうとも、この「3S」を大切に“人間力ファースト”の教育を為し続けること。それが私たち作新学院の使命だと子どもたちから教えられた、忘れじの2016夏でありました。
3つの“S”で解く勝利の方程式 ~リオ五輪&甲子園 W金メダル秘話