畑恵のブログです
(前略)
日頃はおみくじは引かないことにしているのですが、世界の潮目が大きく変わる今日この日に厳島神社にいることも何かの縁と思い、思い切って引いてみることにしました。
家族揃って参拝していたのですが、こんな状況の中で誰が引くかということになり皆が逡巡している中で、80歳を迎えた母が「私が引く!」とこの重い役目を買って出てくれました。
みくじ棒の入った角柱の御神籤筒を振り、箱に空いた小さな穴から細い竹棒を取り出すと、記された数字は1番。
「1番だ、1番」とつぶやきながら、父がみくじ箋が納められた整理箱の1番の小引き出しを開け白い横長の薄紙を取り出すと、文面は以下の通り。
天地渾沌兆 (吉凶未分)
これはあめつちのはじめのときなれば
ぜんあくともにいまだわかちがたし。
ばんじ、こころながく、ときいたるをまつべし。
ものごとてはじめのみにして、おもうようにならず。
ゆくゆくはかならず、よきかたにむかうべし。
あまりにもこの日にドンピシャの内容で、家族一同、朱塗りの回廊でしばし呆気にとられ立ち尽くしてしまいました。
選挙の勝敗が決まってしまった以上、どんなにその結果を嘆いても落ち込んでも何も始まりません。
すべてはこのおみくじのご託宣の通り、思うに任せぬ困難がどんなに降りかかろうとも、とにかく我慢強く粘り強く努力を続けて時を待てば、いつか必ず世界は良い方向に向かう。
世の中を良い方向に向かわせるか、悪い方向に向かわせるかは、これからの人間の思いと行動一つにかかっていることを改めて教えられました。
もみぢ谷の登り口に位置する宿に戻ると、結婚式を迎えた御両人が盛りの紅葉をバックに記念撮影をしていました。
信念を持って闘い続ける限り必ず未来は開けると、晴れ晴れとした幸福感に満たされたひとときでした。
全文はこちらをご覧ください。
http://ameblo.jp/japanvisionforum/entry-12221595801.html
(前略)
五輪史上最も重いと言われる今回のメダル。一個が500グラムで一つかけるだけでもかなりずっしりした重量感があるのですが、それを3つかけるとなると結構アスリートでも首や肩にくるそうです。
手に取らせてもらうと、確かに4年前、萩野選手が高校3年生のロンドン五輪で獲得したメダルを学院で見せてもらった時より、一回り大きく厚く何より重く感じました。
表面には、勝利を告げる女神ニケのデザイン。これは毎年変わりませんが、
裏面のデザインは、大会毎に変わります。今回のリオ五輪はシンプルで伸びやかな感じですね。
どのオリンピックメダルもそうですが、競技種目はメダルの縁に刻印されています。
(前略)
起き抜けスッピンで飛び出してきた甲斐がありました!
続いて、湯川参道にある湯滝へ。竜頭の滝や華厳の滝ほど知られてはいませんが奥日光名瀑の一つで、眼前に広がる豪快な滝の流れを間近に感じられる迫力の景勝地です。
その湯滝の水が流れ落ちる湯ノ湖です。中禅寺湖の西端からちょっと北に上がったところにある小さな湖ですが、白根山からの水に加え、その名の通り湖畔にある湯元温泉からのお湯が流れ込んでいます。
(後略)
全文はこちらをご覧下さい。
『錦秋の中禅寺湖畔周遊記 』
http://ameblo.jp/japanvisionforum/entry-12214603323.html
(前略)
記者会見場には33社、110名を超える報道各社の方々が、全国から駆けつけて下さっていました。そうした皆さんから矢継ぎ早に繰り出される質問にも、今井は一度として言いよどむことなく的確に即答し続け、そのクレバーでスマートな受け答えには我が校の生徒ながら舌を巻きました。
甲子園に出発する宇都宮駅のホームでは、修学旅行に出かけるごく普通の高校生のようにいたずらそうな目をクルクルさせていた今井が、甲子園で優勝、台湾で開催されたU-18でも優勝と大舞台を経験するたび、雄々しく逞しく成長して行きました。
特に、国体が終って現役を引退しプロ志望届を出したその頃から、高校生の今井はすっかり姿を消し、代わってプロとして生きることを決意した大人の今井達也が新たに誕生していました。著しい成長ぶりを頼もしく思う一方で、自分たちの元から既に巣立ってしまったような、どこか淋しさを感じる今日この頃でした。
それでも、記者会見が終わり校庭で待ち受けていたチームの仲間に囲まれると、やはりその笑顔は無邪気ないつもの今井に戻ります。祝福と願いを込めて、作新時代の江川投手の写真をチームの仲間が持たせてくれました。
プロとしての道のりには数々の苦難が待ち受けていることと思いますが、良き仲間、良き師、良きファンに支えられて、納得の行く選手生活を一日でも長く送れることを心の底から祈っています。
全文はこちらをご覧ください。
http://ameblo.jp/japanvisionforum/entry-12213150405.html
(前略)
「東洋のシンドラー」と称され、今では偉人として知られる杉浦千畝ですが、ユダヤ人難民の入国拒否を命じた政府の訓令に反してビザを発給した彼は、帰国後に外務省から事実上罷免され不遇な後半生を余儀なくされました。
日本政府による公式の名誉回復が為されたのは2000年10月のこと。1986年に千畝が亡くなってから14年後のことでした。
第二次世界大戦中、杉原千畝がリトアニアのカウナス領事館に赴任した当時、欧州ではユダヤ人に対するナチス・ドイツの迫害が激化。ポーランドを始めドイツ占領下の地域からのユダヤ難民にどのように対処するか、国際問題となっていました。
(後略)
全文はこちらをご覧下さい。
ユダヤ人を救った杉原千畝物語 ~オペラ「人道の桜」が再演決定 迫害されたユダヤ難民にビザを発給
http://ameblo.jp/japanvisionforum/entry-12210313499.html